原爆を投下する基準のひとつとなったのは、一定規模以上の都市であることでした。アメリカは、開発した原爆の破壊力が実証できる都市を選んだとも考えられるのです。そのなかには横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸といった大都市も含まれていましたが、その時までに空襲によって破壊された都市を除外し、最終的に決定したのが広島、小倉、長崎、新潟の4都市でした。
原爆の投下を正当化する理由として、日本の降伏を早めることで戦争の終結をもたらし世界平和に貢献したという論説があります。しかし、そこに種類の異なる原爆を2度に渡って投下する理由は見当たりません。長崎に原爆を用いたことは、アメリカでも議論の対象になっているそうです。
広島と長崎への原爆投下では、一般市民が犠牲になりました。なぜ、日本はこれほど悲惨な犠牲を払うことになったのでしょうか。投下に至った背景や原爆の被害を知り、命と平和を守るために、私たち一人ひとりが戦後の日米関係や核抑止論、核なき世界の実現について考えていくことを大切にしたいですね。
参考サイト
朝日新聞デジタル 知る原爆・知る沖縄戦朝日新聞デジタル 初核実験75年東洋経済オンライン「京都や横浜も原爆投下の有力候補地だった」